本 殿:神明造
現社殿:昭和2年造営



正親町天皇の天正17年12月坂本河俊久磐城国亘理郡坂元本郷よりこの地に移社す。
即ち俊久は下総国千葉氏庶流にして、其の先は、千葉七郎広定と謂うた。
亘理城主武石左兵衛尉平高広の第三子で武勇を以て聞えた。
貞和の初奥州探題吉郎定家に属して屢々軍功あり。
同4年2月亘理郡坂元郷五百余町を食み従六位下に叙せられる。この年、妙見宮を村に建て尊信す。
広定の子丹波守広綱応永7年8月より宗家亘理(元武石氏)刑部少輔重胤の麾下に属す。
其の9世の孫は、即ち参河俊久である。
天正17年亘理兵庫頭元宗涌谷に移封、其の子美濃守木間塚の村に社宇を造営して妙見堂と称す。
現社殿は、昭和2年造営にかかる。明治のはじめ現社号に改め、村社に列せられた。



天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
天照大御神(あまてらすおおみかみ)



毎年6月の第一土日に行います。